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両手マスカケ。パワー

カテゴリ : プライベート
セミナー用に両手マスカケパワーを作って見ました。
両手マスカケパワー
2016-02-18 07:55:44

ELTON JOHN(エルトン・ジョン)来日大阪公演2015年11月16日

カテゴリ : プライベート
ELTON JOHN(エルトン・ジョン)来日大阪公演
日時:11月16日(月)大阪城ホール
行ってきました。
S席 1,800円
エルトン・ジョンは只今68才で遠い外国から8年ぶり、8度目の来日してもらったのだから、考えようでは安い。
エルトン・ジョンがバンドと共に来日するのは14年ぶりなので今回が如何に貴重なライブか分かる。

エルトン・ジョン大阪城公演看板 エルトン・ジョン大阪城公演ポスター エルトン・ジョン大阪城公演パンフレット
 
エルトン・ジョン大阪公演の大阪城階段前の看板
 
エルトン・ジョンのポスター
 
エルトン・ジョンのパンフレット(LP盤の大きさ)


エルトン・ジョンの今回のツアーメンバーは
ドラマー ナイジェル・オルソン(Nigel Olsson)
ギター デイヴィー・ジョンストーン(Davey Johnstone)
ベース マット・ビゾネット(Matt Bissonette)
パーカッション ジョン・マホン(John Mahon)
キーボード キム・ブラード(Kim Bullard)
エルトン・ジョン大阪公演チケット


舞台の構成は
エルトン・ジョン大阪公演の舞台配置図

演奏開始
夜7時に暗転からエルトン・ジョンが「Goodbye Yellow Brick Road」の1曲目の「 Funeral For A Friend/ Love Lies Bleeding」が始まり、そのまま休み無し2時間半のエルトン・ジョン ワールドへ突き進んだ。
1970年から2010年のエルトン・ジョンのヒット曲が目の前で次々に繰り広げられ、夢の様な時間旅行に浸る事が出来た。
ビートの利いた曲からしんみりとしたバラードまで実に多彩な曲、やはりエルトン・ジョンは天才だ。
後半に歌われた、アルバム「蒼い肖像(Blue Moves)」の中の「悲しみのバラード(Sorry Seems To Be The Hardest Word」」、1995年アルバム「Made In England」の「Believe」を聞いた時は涙が出た。

舞台の様子
エルトン・ジョンはヤマハのグランドピアノをカバーを開けずに弾いていた。後半1度、ピアノの上に座っていた。
ギターのデイヴィー・ジョンストーンはギブソンのゴールド・トップを中心に、黒のギブソン・レスポール・カスタム、オベイジョン、アコースティック、クラシックギター、白のダブル・ネックギター、胴が逆V字変形ギター等使い、いろんなサウンドを展開してくれた。
ドラマーのナイジェル・オルソンはダブルバスドラでベースのマット・ビゾネットと安定したリズムを叩き出していた。
キーボードのキム・ブラードとパーカッションのジョン・マホンが肉付けをして、音の厚みを付けている。
この安定した土台があるからエルトン・ジョンやデイヴィー・ジョンストーンは自由に舞う事が出来るんだろう。

エルトン・ジョンの説明
1970年にビートルズ解散後突然「僕の歌は君の歌」で現れたエルトン・ジョン。
シングルとアルバムの総売り上げは、ビージーズやローリング・ストーンズ、ピンク・フロイドを上回る約3億枚。
事故死したダイアナ妃に捧げたシングル「キャンドル・イン・ザ・ウィンド 1997/ユー・ルック・トゥナイト」が、全世界で3,700万枚以上を売り上げるシングル史上最大のヒット曲となる。エルトン・ジョンのこの記録は、2015年現在も破られていない。
今でもふと落ち着いた時、エルトン・ジョンやピンク・フロイドが聞きたくなる。

エルトン・ジョンを聴き始めた45年前の私の下宿の部屋 音楽漬けの学生生活でした。
オープンデッキのテープレコーダーが懐かしい。右の黒い箱はエコーマシンで入力された音をテープに録音し、下流に4つの再生ヘッドがあり、テープ速度でエコーの間隔を調整していた。
その頃はプログレッシブ・ロックと呼ばれるピンク・フロイド、イエスが出てきて、日本ではハッピーエンドや吉田拓郎、井上陽水、岡林信康等が出てきた。

音楽漬けの部屋 音楽漬けの部屋
   


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2015-11-18 01:20:18

服飾戦略家のしぎはら ひろ子氏セミナー「セミナー講師の為の服装戦略講座」

カテゴリ : セミナー体験
2015年10月29日講師、服飾戦略家のしぎはら ひろ子さんの「セミナー講師の為の服装戦略講座」を受講しました。

しぎはら ひろ子さんは日本ベストドレッサー賞選考委員や「片づけコンサルタント」の近藤 麻理恵さん等数々の有名人のファッションのプロヂューサーをされて、業界では超有名な方とお聞きしていましたのでセミナーに参加しました。
しぎはら ひろ子さんは大変インパクトのあるお話でした。
次々に衝撃なフレーズと説明に目からウロコが落ち、点になりました。
しぎはら ひろ子さんから「何を着るかで人生は大きく変わる!」とは名言です。

ホームページテックの香西正士と服飾戦略家のしぎはら ひろ子 服飾戦略家のしぎはら ひろ子さんの「セミナー講師の為の服装戦略講座」

しぎはら ひろ子さんが言われた「セミナー講師なら内容にふさわしい服装か?何をする人か分かるか?」の問に俳句の季語を思い出しました。

講師として前に立った時、聞く方は無意識にその講師を見て直感的に教えてもらえる人かを判断する。
そして潜在的にインプットされた情報は同じ事を話しても伝わり力が変わってくると言うしぎはら ひろ子さんお話を伺い、痛く共鳴しました。
後の懇親会でしぎはら ひろ子先生に私の服装を見ていただき、どのようなお仕事か推察していただきました。
しぎはら ひろ子先生から「デザイン関係かIT関係の人?」と言われ、まずまずの評価をいただきましたホットしました。

丁度髪も伸びてカットに行こうと思っていたので、いっそうの事、髪の色をシルバーにしようと考えていました。
しぎはら ひろ子先生に頭のカラーのご相談をしますと直ぐにアドバイスいただきました。

検索キーワードで上位表示(SEO)させて営業するホームページのお手伝いをする「お金」に関するお仕事なので「ゴールド」をしぎはら ひろ子先生から勧められました。
金髪と言っても黄色系でなくて、あくまでゴールドですよと言われました。小物もゴールドが良いですよとのアドバイスでした。

次の日予約を取り即実行しました。

ゴールドに染める。

光の加減で茶髪に見えますがゴールドです。
これからどのような世界が開けるかワクワクです。

しぎはらひろ子先生の語録を参考に列挙しました。
「あなたが着る服には願望とコンプレックスが表れる」
「装いは教養である」
「服装はまさに人間そのもの」
「好印象ではなく、存在感を作る」
「ブランドとは焼き付けるものだから」
「服は”着るもの”ではなく”装うもの”」
「なりたい自分になれる服を装う」

しぎはらひろ子の著書
「何を着るかで人生は変わる」

「朝5秒の鏡の魔法 その無難な服では稼げません!」

これで明日からホームページ制作ならホームページテック株式会社の「ベストページ」の営業をかけます。


カレーハウスCoCo壱番屋創業者の宗次 德二氏の講演

カテゴリ : プライベート
本日(平成27年9月9日(水)15時30分~)は尼崎商工会議所さん主催の大交流会に参加しました。
場所は都ホテルニューアルカイック3階「鳳凰の間」
講師はカレーハウスCoCo壱番屋  創業者の宗次 德二(むねつぐ とくじ)氏
成功する方はストーリーがありますね。

カレ ーハウスCoCo壱番屋 宗次 德二氏 宗次 德二さんは1974年名古屋市郊外にて 喫茶店開業し78年1月カレ ーハウスCoCo壱番屋を創 業された方です。
15年小牧に住んだ事があるのでココイチは良く利用した事があり、今でも時々食べたくなります。
帰ってココイチを調べると1400店舗以上で世界で最も大きなカレーチェーン店のギネス記録の会社なんですね。売上900億円、従業員750名です。

そこで宗次 德二さんはどんな方だろうと興味を持っていましたが今回尼崎商工会議所さんのおかげで宗次 德二さんの講演をお聞きする機会に恵まれました。。
宗次 德二の講演の大筋はココイチの苦労話かと思いましたがあまりなく、血縁には仕事を継がさず、2002年にバイトで入社した現社長に全権を譲り、音楽やスポーツの振興、福祉施設やホームレスへの支援などのお話をエピソードを交えて伺いました。
まさに海外の事業に成功した方が社会の為に貢献されているのを聞いたりしますが、宗次 德二さんはそれをされています。
それは儲けたからではなく、昔からで、利益の1割を寄付することに決めて実行されてきたのはすごい事だと思います。
宗次 德二さんお講演の最後の15分で生い立ちを言われた時に何故かが分かりました。
宗次 德二さんは生まれた時から親がいなくて3才まで尼崎の孤児院にいたそうです。3歳の時引き取られた家は養父はギャンブル好きの生活保護家庭でアルバイトをして、やっと高校を出て就職したそうです。1974年にココイチの前身の喫茶店を開業して今に至ったとお聞きして、腑に落ちました。
きっと、運命や境遇で必死に生きている人と宗次 德二さんとが重なり、社会貢献ができる幸せを生きがいにされているのでしょう。
宗次 德二さんはこのようなお話も明るく話されるので湿っぽくならないだけ、心が痛い思いでした。
良いご講演でした。
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情熱ホルモンの川辺清社長 お宅「情熱ホール」訪問

カテゴリ : プライベート
9/4(土)「ほめ育」で有名な原邦雄さんのご縁で情熱ホルモンの川辺清社長のご自宅訪問してカラオケする会に参加しました。参加者はいろんな業界の方で遠くは沖縄から駆けつけた方がおられました。

川辺清さん自宅のカラオケルームと聞いていましたが驚き、「情熱ホール」と言う劇場でした。
川辺清社長は全国300店舗を展開する五苑マルシンの社長で「情熱ホルモン」「五苑」を知ってる方が多いと思います。



カラオケ大会は原さんの音頭で演歌しばりで楽しく始まりました。
さすが舞台で歌うだけあって皆さんプロ級の腕前でした。
私はもちろん「やしき たかじん」さんの「やっぱ、好きやねん」を歌わさせていただきました。ホールの舞台で歌うのはすごく気持ち良かったです。
最後に川辺清社長は「おかんの塩にぎり」をすごく丁寧に歌われました。何か琴線に触れるものがありました。
情熱ホール
 懇親会は近くの川辺清社長の「五苑」で始まりました。  情熱ホール

懇親会
川辺清社長とお話する機会があり、お年は77才(私は66才 関係ない?)で「
生き方の極意」はと伺うと川辺清社長は
なんでも1番やゆうて、がむしゃらに生きるもんではない」とのお話でした。
そのようにして生きていると人は逃げて行くと言われました。

因みに川辺清社長からその時いただいた著書は「清、負けたらあかん」(致知出版)でした。川辺清社長の本によると2才の時、小児麻痺を患い、不幸な青年時代をおくられ、自殺までいきかけた経緯が書かれていました。
外食産業で激動の中でTopを極めた方なのでどんなに迫力ある方かと思っておりましたが、川辺清社長はすごく温和な方でした。
同時に月刊誌「致知8月号」をいただきました。表紙は川辺清社長と小路明善社長(アサヒビール社長)でした。

「清、負けたらあかん」川辺清著 致知8月号
   

川辺清社長とのご縁は大変良い経験とご縁(五苑)でした。
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